ポンコツ軽で九州へ!!<その16>島原城と武家屋敷散策
島鉄フェリーで海を渡ると長崎県。海上に県境があるんですね。
島原半島の南端口之津港に着くと、車なので外に出る事もなく島原城を目指しました。

途中出会った原城跡。原城は、島原の乱(島原・天草一揆)の主戦場です。
天草四郎を総大将として数万人のキリシタンや農民が籠城しました。
海岸線を走っていると島原手延そうめんの直売所が点在してました。
兵庫県は「揖保乃糸」ですが、時々スーパーで売ってますよ。
揖保乃糸よりちょっと太目、値段は一回り安いけど美味しいです!!


手前の山は眉山。後ろにそびえるのは雲仙普賢岳。

市街地に入ると島原市のシンボル 島原城が見えてきます。


島原城入口 石垣の上は「西の櫓」です。
島原と次の訪問地長崎は2回目再訪です。前回は息子達が小学生の春休み、母子3人旅でした。
息子達の年齢から逆算すると20年は経ってますが・・・。
その時は、島原城で無料レンタルできる自転車でぐるぐる回りました。
市街地って意外に車は不便。小回りの利くチャリンコが一番です!!


城内からは島原市街が見渡せました。

島原城天守閣

長崎県も熊本県同様、蔓延防止重点措置中なのに意外にも開館してました。
県市町村で対応がまちまちで基準がさっぱりわかりません。

すごく立派なお城ですが、戦後、観光用に復元再建されたものです。
前回隅から隅まで観覧したので今回は天守閣には入りませんでした。
内部は、博物館になっていて、潜伏キリシタンの遺品の展示が充実してますよ。
踏絵の実物、刀の鍔が十字になってたり、仏壇の後ろに隠されていた小さなマリア像とか・・・。
レプリカですが、教科書に載ってるフランシスコ・ザビエルの肖像画が展示されててビックリでした。
5階最上階は展望台になってて、有明海や普賢岳まで見渡せますよ!!

島原城は元和4年(1618年)から松倉重政が7年の歳月を費やして築いたものですが、明治の廃城令により明治7年解体されました。
昭和35年に「西の櫓」を復元、次いで昭和39年「天守閣」、48年「巽の櫓」、55年「丑寅の櫓」などが矢挟間・鉄砲狭間を備えた長塀とともに復元されました。(Enjoy!しまばら より)


巽の櫓(西望記念館)を背に建つ天草四郎像
松倉重政は、禄高4万3千石にもかかわらず、10万石の大名の城に匹敵する分不相応な規模のお城を築きました。
領民に築城の困難な労役、重税を課した上、幕府の命により厳しいキリシタン弾圧を行った張本人です。
継承した2代目勝家の時、島原の乱が起きました。
観光用とは言え、ここに一揆軍の総大将天草四郎像があるのはすごく違和感を感じました。

お城の裏側の松林にはいろいろな彫刻が並んでました。奥に見えるのは有明海です。
前回、一通り見学済だし、滞在時間もあまりなかったので、後はお城から近い武家屋敷界隈に絞って見学してみました。

島原城の西側に、長さ400mほどの武家屋敷街があります。
舗装されずに続く道の中央に水路がある独特の風景が広がります。
舗装されずに続く道の中央に水路がある独特の風景が広がります。
島原城築城の際、外郭の西に接して70石以下の武士達の住まいが建設されました。戦いの時には鉄砲を主力とする徒士(歩兵)部隊の住居であったので、鉄砲町とも呼ばれています。(島原まち歩きマップより)

水路も昔のままで、ここから北西へ約2km先にある「熊野神社」からの湧水を引いたもので、生活用水として長く守られてきました。

石垣は雲仙普賢岳の火山岩!

現在は石垣の中は、ほとんどが一般住宅ですが、

長い石垣の奥には、「鳥田邸」「山本邸」「篠塚邸」の3邸が保存されていて無料で見学できます。


小さな庭には紫陽花が・・・。



無料休憩所


山本邸


どこも管理する人がいません。おおらかですね。
でも、手入れは凄く行き届いてて埃ひとつなくとっても綺麗です。








見学したのは山本邸と鳥田邸の2邸なんですが、似てるからごっちゃになってしまいました。すみません。



2邸とも、慎ましい中にも堅実な武家の暮らしを垣間見る事ができました。
現在放送中の大河ドラマ「青天を衝け」のロケに使ってほしいような武家屋敷群でした。

お城の周りはどこもとても落ち着いた佇まいです。

四角や三角の「狭間(さま)」がある城郭の長塀を思わせる中は・・・

なんと島原市立第一中学校
明治の廃城令の後、城の跡地に学校を建てたからお城の周りには学校が多いのです。



偶然通りかかった「吉田松陰来訪の地」
島原藩士・宮川度右衛門(たくえもん)の屋敷跡です。
吉田松陰は、嘉永3年(1850年)12月この宮川家を訪れました。
当時の当主・度右衛門守興(もりおき)は種子島流荻野派砲術師範として知られ、兵学研鑽の旅の途中だった松陰は、一週間ほど滞在しました。
吉田松陰は、嘉永3年(1850年)12月この宮川家を訪れました。
当時の当主・度右衛門守興(もりおき)は種子島流荻野派砲術師範として知られ、兵学研鑽の旅の途中だった松陰は、一週間ほど滞在しました。

石垣だけが、歴史を物語っています。

町中のあちこちに紫陽花が彩を添えていました。
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